ダウン症児ー養護高等部

   
                子育てー障害児[ダウン症]の奮闘記

二人目の息子は障害児[ダウン症]として生まれてきました。障害を知った時は、しばらく泣いてばかりいて立ち上がれませんでした。  でもお兄ちゃんもいるんです。私は2人の母親です。
子育ては親の責任です。障害があろうがなかろうが自分の息子には違いない訳で・・育て方が違う訳じゃありません。
愛情を目一杯注ぎながら、スローな子育てを心がけ、あせらないで着実に一つ一つをクリアしていく事こそ親の役目だから・・・  とは言ってもやっぱり落ち込む事も、泣いた時もありました。

     この子育てー障害児[ダウン症]の奮闘記 は共に歩いてきた母と息子の記録です。

     
         ☆養護学校高等部〜☆

わが家は各停の駅で養護学校も各停で 3個めの駅です。
それって凄く良いと思いませんか?
入学して4日目には一人で通い始めました。


入学式の当日、「入学おめでとう」の看板の前で先生に写していただきました。
入学式の次の日、私と一緒に学校へ行きました。
その時担任の先生が「お母さんと来たのか?もう大きいんだから一人で来いよ な(^_^)」と。

3日目の朝「一人で行く」と達也が・・私は「道わかるの?」と。
達也は「??」と首をかしげたので私は「じゃあ今日はお母さんが達也の後に付いていくから、分からなくなったらお母さんに聞いてね、それで出来たら明日から一人で行こうね」という事で。

4日目からは一人で電車に乗って通い始めたのでした。
もちろんしばらくは影に隠れて後ろから付いていきましたが・・



一年生の時は紙工班でした。教室に入れなかったんです。

いつも慣れるまで時間が掛かります。先生たちも考えてくださって教室の外に机を用意してくださいました。そこで作業をしていました。
2年も同じ紙工班にしてもらいました。
せっかく少し慣れてきたのに変えると又はじめからやり直しですので・・・
2年生になったら何とか教室内で作業できるようになったので、3年生は印刷班になりました。


一年生の時は運動会も殆ど参加できませんでした。
でも2年生は右上の写真のように友人と2人3脚もこなし、80メートル走もぶっちぎりの一位でした。
一年掛かってやっと学校に慣れた達也でした。



修学旅行は沖縄でした。

暑い暑い沖縄だったみたいです。
連日30度だったとか・・

高3で作業実習に行きました。
今行っている作業所へ行ったんですが・・・左は実習生として行ったときの写真です。

洗濯したクロスを広げているところです。

高一のとき私と二人で説明を聞きに行っているので達也も比較的早く慣れたようです。

「もう所員さんとなじんでいますよ」と言われました。
今も同じような仕事をしているのですが、お小遣い程度の給料がもらえます。そのお金は自分で自由に使っています。
働いた帰り自販機でジュースを買って帰るのが日課となっています。


養護学校高等部の卒業式

学生生活もとうとう終わりました。

 
3年間通った学校、お友達とお別れです。

楽しかった思い出を胸に社会人として出発しました。
これからはあまり変化もないけど、楽しい事見つけて生きていって欲しいと思っています。

いずれ親の私たちの方が先に逝くと思います。
そうなった後のことは心配ですが、とにかく今を大切に生きようと思っています。

安心して逝けるように手配をしながら・・・・・

              一応 おしまい
かなぁ

  
   ぶっちぎりの一位!!

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