ダウン症児ー小学生

   
 子育てー障害児[ダウン症]の奮闘記

二人目の息子は障害児[ダウン症]として生まれてきました。障害を知った時は、しばらく泣いてばかりいて立ち上がれませんでした。  でもお兄ちゃんもいるんです。私は2人の母親です。
子育ては親の責任です。障害があろうがなかろうが自分の息子には違いない訳で・・育て方が違う訳じゃありません。
愛情を目一杯注ぎながら、スローな子育てを心がけ、あせらないで着実に一つ一つをクリアしていく事こそ親の役目だから・・・  とは言ってもやっぱり落ち込む事も、泣いた時もありました。

     この子育てー障害児[ダウン症]の奮闘記 は共に歩いてきた母と息子の記録です。

     
          ☆小学生☆

地域の普通級に入りました。
どうしても普通級へ、という気は無かったのですが、幼稚園で一緒だった子供たちと共に学べたらと思い普通級に入れました。
特学(特別学級)へ移動するのはいつでも出来ると思っていましたから、何もあわてる事は無いですよね。
自分はみんなみたいに出来ないと思うのか、子供たちとは走れませんでした。
やっと先生と一緒に走れました。
普通級に入って子供たちや、先生に可愛がってもらっていました。

小学1年生の2学期(11月)に達也が始めて字を書きました。
公文では算数(数字を書いていましたが)をしていましたが、国語はやっていませんでしたから、驚きました。

学校で先生が少しずつ教えていてくださったのですね。
初めて書いたのは「あんぱんまん」でした。鏡文字も混ざっていましたが・・・本当に嬉しかったです。

横浜から「港の見える丘公園」までのフェリー内で・・
なかなか2人では出掛けられないのですが、こういうのも良いですね。
カメラに向かうと笑顔になる達也です

小学校2年生の3学期に引越しをしました。
今度の学校は地域全体があったかいのでほっとしました。

4年生から特学に入りました。
みんなとの差が大きくなってきて周りの子がやってくれちゃうようになりました。
ありがたいのですが、本人の為にはなりませんから。

達也は自尊心の強い子で、自分もできると思わない限り何もしません。もう普通級での限界に来てると思いました。(あくまでも達也の性格からそう思ったので、普通級の方が良い子もいると思います)

うまく特学に移動出来て 良い先生たちに恵まれて。
大好きな先生と遊んでいると笑顔がこぼれます。
この頃「○○先生と結婚するんだ」とよく言っていました。
パソコンが大好きで、この頃から文字入力とか絵を書いたりしていたようです。
時々自分の書いた絵を持ち帰っていました。
特学に来て少しずつ自分に自信がもてるようになっていったみたいです。 
先生やまわりの子供たちに支えられながら無事小学校を卒業です。

相変わらず頑固さと自尊心の強さはそのままだけど、それなりに大きくなり、可愛い後輩も出来て兄貴分の達也になって行きました。

            中学生に続く



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